喧々諤々

ギリギリのところで生きてます

鬱病に理解のない人

前も書いた話題だが、あの後通院している精神科の先生に結構いいことを聞いたので、メモも兼ねて。

 

そこまで長く書くつもりもないのでざっくり書くと、「人は能動的に分かろうとしないと本当に理解することはできないので、話す機会を待ったほうがいい」らしい。

 

私の場合、母親は理解してくれているし、実際かなり助けられている。ここまで理解があるのは性格もあると思うが、大きな要因として、私の一番ひどい時期を間近でみているというのがある。

学校から帰るなり部屋にこもったり、明らかにぐったりとしていたり、自殺を仄めかしたり、真っ暗な部屋の中、カッターで新しいノートをザックザックしていたら、流石に事態の深刻さがわかる。

その後、慣れないスマホでずっと鬱病について調べてくれていたのも、ふらっと立ち寄った本屋で精神病、うつ症状に関すコーナーの前で立ち止まったのを知っている。

こうして母親は恐らく【能動的に】、自主的に、じぶんから、理解しようとした。

 

しかし父はろくに顔も合わせない、話もしない、ので恐らく私が鬱病であることも知らない。通院をしていることも自殺をしようと岬まで行ったことも 何も知らない。毎日泣いて、泣いて、それでも這いつくばって勉強したり、家の中で過呼吸起こしてたことも。具合が悪くてずっと寝ていた母に「メシは?」しか言わない。

いつか、いつかは本当に理解チャンスがあるのだろうか