喧々諤々

ギリギリのところで生きてます

鬱病に理解のない人

前も書いた話題だが、あの後通院している精神科の先生に結構いいことを聞いたので、メモも兼ねて。

 

そこまで長く書くつもりもないのでざっくり書くと、「人は能動的に分かろうとしないと本当に理解することはできないので、話す機会を待ったほうがいい」らしい。

 

私の場合、母親は理解してくれているし、実際かなり助けられている。ここまで理解があるのは性格もあると思うが、大きな要因として、私の一番ひどい時期を間近でみているというのがある。

学校から帰るなり部屋にこもったり、明らかにぐったりとしていたり、自殺を仄めかしたり、真っ暗な部屋の中、カッターで新しいノートをザックザックしていたら、流石に事態の深刻さがわかる。

その後、慣れないスマホでずっと鬱病について調べてくれていたのも、ふらっと立ち寄った本屋で精神病、うつ症状に関すコーナーの前で立ち止まったのを知っている。

こうして母親は恐らく【能動的に】、自主的に、じぶんから、理解しようとした。

 

しかし父はろくに顔も合わせない、話もしない、ので恐らく私が鬱病であることも知らない。通院をしていることも自殺をしようと岬まで行ったことも 何も知らない。毎日泣いて、泣いて、それでも這いつくばって勉強したり、家の中で過呼吸起こしてたことも。具合が悪くてずっと寝ていた母に「メシは?」しか言わない。

いつか、いつかは本当に理解チャンスがあるのだろうか

雑文

考えたいとき、思考したいときにお使いください。

一、ランダムに並べてください、と指示されたとき、そのランダムに並べられたものは不規則といえますか。

二、人が死ぬとなにが残りますか。

 ①悔い ②次の魂(輪廻転生)③虚無

三、あなたはいつか死にます。今まで築き上げてきたものに価値はあったと思いますか。

理解

鬱病に理解が無い人は絶対にいる。どう頑張っても理解できないとか、理解しようとできないとか、自分の理解が正しいと思いこんでいるとか。そもそも人間はすべての事を理解しているということはない。なにか無知であってこそ人間だ。

だがそれが身近にいると、まあ面倒なんだな。

最近外に出られるようになり、将来についても考え始めた。その矢先、父が「働いてないのはヘンでしょ。」と言った。

その瞬間、自分がいかにクズで、人として恥ずかしいのかを認識させられた。生きていてはいけない、そもそもこんな世界生きていけない。そう感じた。

鬱病に多いリストカットアームカットなどの自傷行為は推測だが自罰的行為なのだと思う。

鬱病患者には「自分は生きていてはいけない」「いるだけで周りに迷惑をかけている」「出来損ないの自分が許せない」というような自分嫌いが多い。

だから痛みや不快感を自らに与えることで、自分に許しを与えている。

自分を自分で責め、自分で自分を罰し、自分で自分を許す。

きっと一番いい治療法は自分の今の姿を受け入れることだと思う。人は何かを罰する権利を持たない。もし国にいるならば、その国の法律のみが人を責め、罰することができる。

人が人である以上、責める、罰することはしなくていい。

別にリストカットを非難しているわけではない。

上記の通り、痛みで許されると考える人は痛みを感じると同時に安心するのではないだろうか。

私が嫌なことがあるとすぐ自分の大好きな毛布にくるまって横になるのと一緒だろう。

 

 

もしリストカットしている人がいるなら、ちょっと読んでほしい。

リストカットに依存してやめなきゃ、って苦しんでたら。

傷つける前に自分は悪くないって思って。

私は無職、ニート、親の脛をかじって生きてる。きっと底辺だと思う、でも責めない。あなたは責められなくていい。

鬱病になったのは周りの環境のせい。

ひきこもってんのも周りのせい。

自分以外なら何を恨んでも憎んでも責めてもいい、

あなたは悪くない。

罰する必要はない。

居場所がなくて助けてほしいなら

 

私がここにいます。

あなたが明日は笑顔に慣れますように。

努努

小さい頃。私は氷になりたかった。

周りは笑った。

それからずっと公務員を目指した。

周りは賞賛した。すごい、さすが、やっぱり

公務員を目指してさも当然、それが私の被った殻だった。

就職、転職、一通り通ってみた。

 

結局私は何になりたかったんだろう。

 

人生の最後をどんなふうに終わらせたいのか。

 

もう迷い子枚いよいよこまい

 

大人になれば夢はなくなる。師がおっしゃる。ならば何もないだけの私は夢を追い求める私は

ナニモノ

ぐちゃり

今日はぐちゃぐちゃの日。

心も体もぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃにくへんも脳みそもわけが分からなくなって、

愛も恋も常識もミキサーに入れればぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ混ざってくれるのに

不気味に思考が混ざってハンドミキサーで甘いメレンゲになっていく。

そしてこちらが卵と砂糖、振るった薄力粉を混ぜたものですね。

2つを混ぜて型に入れ焼いたものがこちらになります。

\\\\\シフォンケーキ/////

 

 

鬱病は甘えですか。

これは鬱病にかかったことがある人なら皆、通る道だ。

昨日の通り周りが鬱ばっかりだったので「欝は甘え」「かまってちゃんでしょ」という言葉はあまり聞かなかった。

それが職場に入り、何か月か経ったある日。

(ここからは職場での愚痴になります。ゴミンネ)

その日、私は4時で帰れるシフトだった。更に残業があるとも聞いていなかったので、薬は一つ(リーゼという抗不安薬です。職場でどうしてもダメそうになったら飲んでと言われてましたが、その頃には依存により仕事中は常に効果が続かなければ体が動かない。)しか持って行かなかった。朝飲んで、昼一回飲んで、そうしたらもう帰れるだろうと。慢心していました。

待てども待てども帰らせてくれず、仕事を任され続け、帰るはずの4時を過ぎても一向に返す気配はない。ようやく店長が近づいてきたと思ったら「休憩入ってくれば。」思わず「まだあるんですか!?」と返してしまった。こういうやり取り自体は珍しくなく、パートさんの中ではもっときつい言い方の人もいる。それでも私が気に入らないらしく呼び出してまで説教。

それから何日かして、部屋に二人で怒られた。

「動きが遅い、ちゃんとして、それと、定時に帰らないで、」

「あと、前帰りたがってたけど、ああいうのもやめたほうがいいよ。」

ここで急に話の本題に戻るのだが、この後店長はなんで帰りたがってたの、と一応聞いてくれた。というか定時で帰るのも許されんってか。

しかし、それについて正直に薬が足りないから。と馬鹿正直に言われてしまった。

「薬?薬がないって?じゃあ薬のせいでいいの?」

ここで聡った。一般人にはあまり死にたくなるほどの苦痛と悲しみと情けなさと同仕様もない希死念慮なんてないのか。

毎日毎日泣いて、他人困らせて、自分が情けないのはわかってる。でも何より死にたくてたまらない。今すぐにオホーツク海に飛び込んで苦しんでサメに食い千切られたい。しにたいしにたいしにたいしにたい

このどうしようもない思いをさっぱりさせてくれる抗不安薬、リーゼの役目だった。そばにいるだけで安心した。だが店長はそれを薬のせいにしていいの?といった。

その薬がないと社会生活すら満足にこなせない鬱病患者にとって薬は唯一の頼みの綱なのだ。

 

まあかなり話がそれた。結局鬱病は甘えでいいと思う。思いっきり甘えないと治らない、そういう病気だ。周りはぜひ鬱病無職を甘やかしてください。

理解した

だが納得したとは言ってない。

職場で一番興味深かったことは世の中の人は案外幸福に生きているということだ。

幼稚園のときは友達と呼べる人間がいなかった。

小学生では仲良くなったと思った子が次々に転校していった。これに関しては住所の関係で一緒に帰る子がどうしてもいわゆる転勤族の子に偏る為だと思う。

中学校では初めて友達ができて、学校に行きたいと思えるようになった。この頃勉強をすることで鬱病からの無職という最悪コンボが待ち受けているとは思わなかった。

高校は言わずもがな。

高校の友達について、かなり面白い共通点があるのだが、ほとんどが精神疾患、またはその一歩手前、ということだ。

高校生当時は周りの人間右見れば鬱病、左も鬱病。その隣まで鬱病。あまりに多かったので、逆に世の中の高校生は鬱病くらいが普通なのかな、と思っていた。

その常識が根付いたまま社会人になってびっくり。

周りの人間全員が鬱病って何?甘えでしょ。という感じ。

そんなパーティーピーポーみたいな人間久しぶりに見た。しかもパーティーピーポーに囲まれてしまった。

いや〜怖かったね。住む世界が違いすぎた。多分2個隣の並行宇宙とかの世界に住んでんだな。あの人たち。

でももう並行宇宙に飛ばなくてすむからね。ほんとに良かった。酸素濃度低くて息がしづらかったんだよね。

そんな人間いろんな人がいていろんな常識があって、そりゃあ意見合わない人もいるわな。

でもみんな100年以内に死ぬんだよ。

こんなに嬉しいことってない( ⌒ ͜ ⌒ )

 

明日は「常識ってなあに」「鬱病って甘えなの〜!?」のどっちかを書きてぇ。