喧々諤々

ギリギリのところで生きてます

死ぬことが将来

最近になって「死ぬ」ことを意識している。特段恐れている訳でもなく、今のところはまだ、渇望という程でもない。

そんなんで将来どうするの。

無職になると決まった瞬間からこの言葉がつきまとう。それは例えば親戚のオジサンだったり、お節介焼きのオバサンだったり、そして何よりも自分自身が煩く、さも心配してますと言わんばかりの顔で、喚き散らすのが常だ。

こういう言葉に踊らされて、「ああ、どうしようどうしよう」なんて脳みそをぐるぐるさせてはいけない。

ただ静かに、「死にます。」とだけ答えておけば良い。

人間は死ぬ。これは事実だ。天才もバカも、金持ちも貧乏人も、幸せな人も不幸で仕方ない人も、社畜も無職も。生きたいと強く願った人も、死のうと首を輪にかけた人も。

みんな死にます。

人に最終的に残される未来は死しかない。

じゃあ後悔の無いように生きる?

胸を張って誇らしく生きる?

別に他人がどう考えようが関係ないが、私は死んだ人間の意識は消えるものだと思っている。魂はなくならないだの、輪廻転生がどうこうだのは勝手に信じてくれ。

私にとって死とは救いである。

うまく行かなかった物語にようやく終止符をうてる。

だから私は「将来どうするの。」と聞かれたら

「とりあえずまあ親のスネ齧ったりどっかでバイトしたりしてそんで‘死にます’。」という。

眠剤が効いてきたもうまともに書くことはできまいおやすみなさい